2009年02月07日

It was really nothing.

勝手ながら、1ヶ月以上このブログを休んでいた。
もうやめたのか、と思った人も少なくなかったかもしれない。

やめたわけではない。ただ休んでいただけ。

別になにか思うところがあったわけでもない。
理由なんてない。

今、ここにまた筆をとる。
理由なんてない。気が向いただけ。

OK,何の問題もない。


the smiths: William It Was Really Nothing.




posted by kazar at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2008年12月31日

ダラスへは行かなかった。

今年もあと数時間。

家の大掃除には未だ手が着かず。でもそれよりも、まず頭の中を大掃除せねば。いろんなものがトッチラカッタママである。全然何も片付いていない。うーん。

光陰矢の如し。

あっと言う間の一年だった。
でも、一年前のことは、はるかむかしのように思えて、全然覚えていない。矛盾してるね。日常はそんなにキレイに整合していない。

昨年末は何を考えていたっけ、と思いエントリを見返してみる。

来年末はダラスに行くことになる

そうだそんなことを書いていた。

ダラスには行かなかった。

何かを求めるときに、なぜか遠くの見知らぬ土地にその何かを求めてしまう。
隣の芝生は青い。

振り返れば、今年も多くのことを求めた一年だった。
それなりの成果を得たものもあったけど、多くはまだ進行中であり、乗り越えるべきたくさんの壁がたちはだかっている。課題は山積みである。

遠きに行くに必ず邇きよりす。

多くの課題に向かい、まずはしっかり落ち着いて自分の足元を固めるべきだろう。
ブレずに、僕ができる身近なことをしっかり行うこと。

頭のなかは全然片付いていない。
まずは手がつくところからやるしかない。

みなさん、今年も大変お世話になりました。
良いお年を。

OK,何の問題もない。


posted by kazar at 16:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2008年12月26日

PBL or not ?

某メールマガジン記事のインタビューを受ける。
「大学におけるプロジェクト学習の実践」についての取材。

「プロジェクト学習(PBL: Project Based Learning)」とは、学生たちがグループワークによって主体的に課題を探求する学習方式のことである。

僕はデザイン系出身なので、このスタイルを特に「特別なもの」と認識していなかった。デザイン系教育では昔からお馴染みのスタイルである。
自分の授業でも、これまで随分このようなスタイルを採用してきたが、それが「プロジェクト学習」という名前であることを認識したのは、そんなに遠いはなしではない。

今回はその実践についてのあれこれを語らせてもらった。
まとめられた記事は、来月配信される予定なのでまた紹介します。

「プロジェクト学習」が注目されていること。それはいい。
ただ、そこに何とも言えない違和感・気持ち悪さを感じずにいられない。

「プロジェクト学習」について語る立場であるからこそ、注意が必要であると感じる。

僕の認識違いなのかもしれないが、「プロジェクト学習」が注目されていることの背景に、従来の座学講義の行き詰まりとアンチテーゼが大きく立っていないか。座学講義の行き詰まりを解決するこたえとして「プロジェクト学習」となっていないか。

僕はそれは違うと思う。いや、そう語ってはいけないと思う。

確かに、教員が一方的に話し、学生は黙って座って聞くだけの講義スタイルには行き詰まりがあるかもしれない。その行き詰まりをどうにかする必要性は感じる。ただそれに対する唯一の解答が「プロジェクト学習」ではない。何ごとも2項対立にしてしまうのは非常に危ない、と。

「プロジェクト学習」は、数ある教授・学習方式のひとつである。だから、僕は大学の授業すべてが「プロジェクト学習」になればよいとはこれっぽっちも思っていない。

大学では、座学講義、プロジェクト学習以外にも、多様な教授・学習スタイルが行われることが理想だと思う。そして僕は、その多様な実践を行っていきたい。年の瀬。来年への課題がひとつ増える。

OK,何の問題もない。












posted by kazar at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 研究

2008年12月09日

Re: OK,何の問題もない。

大平智弘先生(武蔵野美術大学教授)がご逝去された旨の連絡を受けた。突然の師の悲報に言葉をなくす。

大平先生に出会わなかったら、僕はいまこうして大学教員をやっていなかった。
こんなに酒をのむこともなかった。宴席に出かけていくことの意味と価値もきっとわかっていなかっただろう。

研究と教育について、「デザイン」という考え方について、「生き方」について本当にたくさんのことを教えていただいた。
いや、正確に言えば[語って]いただいた。僕はそのお話しを聞いているその時には、その意味や価値や本質をわかっていなかったように思う。

でも、それから自分が動き、自分で考えはじめたその時に、大平先生から[教えていただいた]ことに気づいた。

恩返し。

それも、大平先生から教えられたことである。
恩返しとは、僕が先生から教えていただいた多くのことを、僕の後世に伝えられてはじめて成し遂げられる。
僕はこれから、先生にうまく恩返しできるだろうか。いや、しなければならない。


OK,何の問題もない。

僕が[勝手に]大平先生から借用していることばである。ご本人に承諾を得ていない。でも、大平先生にお伺いをたてるのは無意味である。きっと言うことは決まっているから。

いや、聞くことによって、自分はなにもわかっていないことを、逆に露呈させてしまう。

だって、「自分で考え、自分で判断すること。」
それが、「OK,何の問題もない。」の意味であるから。

でも、いつか、そうまだ先に、僕がそのことばを背負い何かを成し遂げた成果を持って、大平先生にお話しするつもりだった。
毎日自分の小ささに打ちのめされている今はまだ、報告できないと思っていた。

そしてこう言ってもらうつもりだった。

「OK,何の問題もない。」

聞けないまま、先生は逝ってしまった。


これまで本当にどうもありがとうございました。どうか安らかにお眠りください。
ご冥福を心からお祈り申し上げます。

僕は、大平先生に教えていただいたすべてのことに応えるために、[勝手に]このことばを背負い続けることにさせていただきます。

OK,何の問題もない。




posted by kazar at 19:37| Comment(1) | TrackBack(0) | 日々

2008年12月03日

メジャーなシンクロニシティ

今日読んでいたマンガに、昨日僕がエントリした内容と同じことが書いてあった。
嗚呼、何たるシンクロニシティ。

小さな失敗(ミス)を恐れ、
大きな志を失っていると─

なぜちっぽけなミスを恐れ、今から小さくまとまろうとするのか、

つまずいても、何度でもはい上がればいい。

そこに“動機(モチベーション)”なんて特にいらないじゃないか、

(満田拓也,MAJOR 69巻,2008)


OK,何の問題もない。


posted by kazar at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2008年12月02日

equal oppotunity or not ?

「先生の授業スタイルって、結果平等ではなくて、機会平等を貫いていますよね」
って、この間ゼミ生に言われた。

その時は、あーそうか、と思ったのだが、何だかずっとひっかかっていた。

「結果平等ではない」ということは、その通りだろう。
どの授業もその成果(ゴール)を一様に設定することはない。
好きなだけ、自分の思うだけ学んでほしい。僕はそれを阻害しない。

でも、「機会平等である」だろうか?
みんなに一様に機会を提供しているだろうか?

僕は、自ら何かを求める人には協力を惜しまない。
自ら学ぼうとする人には、その学びの機会を与えることに協力を惜しまない。

でも、機会を与えるのは、「みんな一様に」ではない。
ということは、やはり「機会平等」ではない。

そこには「自ら何かを求める人」というフィルタがある。

自ら何かを求めるということには、強い動機付けが必要だと思いがちである。

動機付け=モチベーション。

僕はモチベーションということばが好きではない。
いや、正確に言うと、モチベーションということばが前景化するのが好きではない。

自ら何かを求めるということに、動機付けなんてそもそも必要だろうか?
ただ好きだから、ただ興味があるから、でよいのではないか。
そう、そこに結果が伴わなくともよい。失敗したって、何のかたちにもならなくたって別にいいじゃないか。
小さなことにビクビクして、何にも手をつけられないでいる、というのが一番もったいない。

好きなだけやってみたらいい。

どうにもならないことなんてない。大抵の場合はどうしていいかわからなくなっているだけだ。
(吉田聡,スローニン,1987)

どうしていいのかわからないことを、一緒になって悩むことには、僕は努力を惜しまない。

OK,何の問題もない。
posted by kazar at 01:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2008年11月25日

ヤッシー再び

昨日は、前の勤務校での卒業生が京都に来ているという連絡を受け、昼に会う。
世間は休日だったようだが、うちの大学は授業日で夕方授業だったのであまりゆっくり話しができなかったのが残念。

僕は、前任校では学生たちに「ヤッシー」と呼ばれていた。そうだった。
卒業生を前にしては僕は「ヤッシー」である。うん。

卒業してからの社会人としての苦労ばなしをいろいろ聞いた。

思い返せば、僕も学部を出て一旦デザイン事務所に就職したものの、1年足らずで辞めた。そしてふらふらしていた。
今言えることといえば、自分に合った思い通りの職場なんてない、ということである。それを本当に望むのであれば、自分でつくるしかない。

お金をもらう、とはどういうことか。
自分はこんなことをやろうとしている。でもそれを実現するスキルは自分にはない。だからそのスキルを持っている人にお金を払って頼むしかない。
ということは自動的に、お金をもらう方は、誰かの思いを肩代わりすることであって、お金をもらって自分の思い通りの仕事を達成することは原理的にはありえない。

お金をもらう、ということは自分じゃない誰かの思いを達成すること、であると思う。そこに、自分の意識は作動しない。

自分の思い・やりたいことを貫きながら、それなり以上のお金を得ることは凡人には不可能である。僕は凡人であることを自覚しているので無理である。

お金を得ること、自分のやりたいことを達成すること。僕は現段階ではその両方を得られていない。だからといって、僕より若い人たちに、「それは無理」と言うつもりはない。

僕にできなかったこと、今僕ができていないことを、うまくできる学生+卒業生が出てくることは、とっても幸せだと思う。だから僕に関わった学生みなさんの将来にはとても期待している。

でも、最初のうちはうまくいくはずなんかない。
大事なのは、短い、刹那で判断しないこと。時間の経緯のなかで見えてくることは確実にある。

はじめはツライことばかりである。僕もそうだった。

あきらめないでほしい。
今、あなたが直に感じていることは間違っていない。終わってはいない。むしろまだ始まってもいない。

また話しをしよう。僕はあなたたちの前ではいつまでも「ヤッシー」である。

OK,何の問題もない。





posted by kazar at 09:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 日々

2008年11月24日

ゲスト講師と呼ばれて-02

専修大学での僕の授業に参加していただいた上平先生のブログで、授業内容についてご紹介いただいた。どうもありがとうございます。
kamihira_log:
「デザインの考え方を異分野に持ち込む」ー八重樫先生講演

そのなかでのおことば。
「休日出勤してでもこういう機会に勉強するのだ。」

これは非常にステキで深いおことばである。僕も見習いたい。

『学ぶ仕方』は、現に『学んでいる』人からしか学ぶことができない。教える立場にあるもの自身が今この瞬間も学びつつある、学びの当事者であるということがなければ子どもたちは学ぶ仕方を学ぶことができません。
(内田樹,街場の教育論,ミシマ社,2008,p.142)

僕らは、何かを「教える」のではなく、そう、何かを「教えた」と思っているのは思い上がりであることを十分に自覚しなければならない。
学生たちに何か伝えられることがあるとするなら、「自分が学んでいる姿を見せること」でしかない、と僕も思う。

僕らは「教える立場」であるが故に、自分自身が積極的に「学」ばなくてはならない。「学び」をとめた時、何かを「教える」ことも同時に停止する。だから、どんなに日々の雑用が多く押しつぶされても、僕は「学ぶこと」をやめることはできない。

ということを改めて認識しました。上平先生、ありがとうございます。



OK,何の問題もない。


posted by kazar at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2008年11月22日

ゲスト講師と呼ばれて

今日は、専修大学ネットワーク情報学部で授業。

望月先生教育支援情報システム総論のゲスト講師として呼ばれたため。

金曜まで授業でいっぱいいっぱいでヘロヘロしながら夜に東京へ移動。
新幹線の中で準備。ああ、この自転車操業から抜け出さなければ。
という間に、また次週がやってくる。嗚呼。

ネットワークを利用した(eラーニング)教材開発について話してほしい、というリクエストだったので、現在取り組み中の「厚生労働科学研究:若年看護師向け医療安全教育へのeラーニングの活用」について話す。

このブログでも今までいくつか取り上げてきた研究。
医療安全教育の研究

異境にて:相手のことばで、自分の考えを語ること。

僕はちゃんとしゃべれていたのだろうか?
僕のはなしのなかに、学生さんたちの学びを喚起する何かがあっただろうか?
望月先生が考える授業のコンテクストに合っていたのだろうか?

授業の後はいつも気持ちが悪い。
授業なんてこれまで何百回も行っている、のに。

この胸のモヤモヤは消えることがない。

「学び」とは何か。
それを「デザイン」するとはどういうことか。

まだ山は高く、海は限りなく広い。空は青い(?)。
そして僕はあまりにも小さい。

OK,何の問題もない。



posted by kazar at 23:55| Comment(4) | TrackBack(0) | 日々

2008年11月10日

Refsignはじめました。

京都のデザイン会社エニアックインターナショナルの佐野さんが中心となって立ち上げられた「Refsign」というサイトで、僕もブログ執筆をはじめました。
Refsign
デザインマガジン
ネットとリアルの融合。
http://www.refsign.net/

ブログ執筆陣は、京都のデザイン実践者たちが名を連ねています。

僕はここにどのように関わっていけるだろうか?

僕自身も楽しみにしています。Refsignのエントリも今後楽しみにしてください。

OK,何の問題もない。


posted by kazar at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | メディア・デザイン