2008年02月18日

問題となるか、答えとなるか

「自分自身が問題になるか、それとも答えとなるのか」

MC5(1960年代後半〜70年代前半)というバンドのことばである。

僕は問題になりたいね。
これからどれだけの問いを、世の中に問えるだろうか。

OK,何の問題もない。


MC5,Kick out the Jams,1970
こんなバンドやりたいね。




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2007年10月21日

STILL METAL

LOUDPARK07に行ってきた。メタル音楽フェスである。ラインナップは、メタリックな人がみれば、かなり涙腺がゆるむだろう、きっと。

メタルだけあって、観客の年齢層は高い。やっぱ今の若者はメタルなんて聴かないんだろうな。

他のフェスも同様だと思うが、再結成・再開バンドがいくつも参加しているのがひとつの見どころ。中学・高校で聴いてたバンドを、まさか今、生で見るなんて思わなかった。っていうところが、高い年齢層に受ける理由だろう。まさしく僕もその一人。HANOI ROCKSが見れたことに感動。

もちろん、最近のバンドも多く参戦している。今回の僕の一番のお目当てはARCH ENEMY
スウェーデンのメロディック・デス・メタル・バンドである。メタルにも実にさまざまなジャンルがある。

何だかんだでメタルをもう20年くらい聴き続けているが、正直このジャンルに、もうそんなに新しい発展があるとは期待してなかった。

新しいバンドが出て来ても、「過去の○○に似ている」というウンチクを振りかざし、年寄りがノスタルジーに浸る音楽ジャンルでしかないのでは?、と思っていたことは否定できない(あくまで、個人的にね)。

でもね、僕の拙いそんな考えは、ふと聴いてみたARCH ENEMYというバンドが拭い去った。メタルにもまだまだ先があるかな、って思ったのである(あくまで、個人的にね)。

ARCH ENEMYの音楽を勝手にヒトコトで言うと、「首を絞められて嗚咽する女性の後ろで、爆音でムード歌謡が流れている感じ」かな。なんのこっちゃわからないと思うが、聴いた人はたぶん納得してくれると思う。

もう少し詳述すると、一見、デス声とは無縁なおネエちゃんが、低音で咆哮(獣などがほえたけるような叫び)しまくり、ツインギターがムード歌謡か!、とツッコミを入れたくなるような旋律とソロを弾きまくるという構成である。
ギターのメロだけ聴くと、スーパーの精肉コーナーでかかっていてもおかしくないと思う。

普通のライブでは、観客はボーカルのパートを一緒に歌って盛り上がる。
でも、このバンドのライブでは、ギターの旋律を客が大合唱し、ボーカルがそれを盛り上げるように咆哮しまくるという、何とも奇妙な空間が演出される。
楽器の旋律を大合唱する音楽ジャンルが他にあるだろうか。クラシックもジャズも、ベンチャーズもみんなで旋律を歌ったりしないよね、たぶん。

「メタル」と括られる中でも、そのスタイルは多種多様ではあるが、僕は純粋にメタルという音楽ジャンルが(ジャンルも)好きである。
でもそれは、ライブで大騒ぎし、拳を振り上げ、頭振って、オシクラマンジュウすることが好きである、ということを意味しない。

僕はいつも、いろんな音楽の聴き方・接し方が許容されてよいと思っている。メタルの演奏をライブでじっと、ゆっくりじっくり味わったっていいじゃないか。

今回の会場は、そんな期待にも対応するよう、スタンドとアリーナが行き来自由になっていた。
でも、やっぱりせっかくだからバンドの近くで見たいよね。というわけで、アリーナで荒れ狂う観客の中、拳を振り上げたり頭振ったりせずに、じっくり演奏に魅入る僕であった。

OK,何の問題もない。

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2007年09月13日

ロック

oxyfunkさんが来京(京都に来た)。

「ロック」について大いに語る。(研究とか、30代をどう生きるかとか、まじめなはなしもしましたよ。)

思えば、僕が「ロック」というものを明確に意識し、自分で解釈できたのは、the smiths(スミス)とshoegazer(シューゲイザー)との出会いがきっかけだった。90年ごろのはなし。

もちろん、それまでも「ロック」を聴いていたし、「ロック」に生きようと思っていた。でも何か違和感があった。なぜなら、「ロック」は、強くてカッコイイものだと(勝手に)思いこんでいたからである。

しかも、僕が思う「ロック」は自由であるもののはずなのに、非常に多くの「型」を強要しているように見えた。なぜ、拳を振り上げなければならないのか、なぜみんな同じようにノらなければならないのか、なぜそんなに積極的に明るく盛り上がなければならないのか。
僕はうまく「型」にはまれないで悩んでいるというのに。

そこで、スミスとシューゲイザーである。スミスはバンド、シューゲイザーはスタイル。

スミスはひたすら、弱くてなさけない者たちをモチーフとした。マッチョで男根的なものを排除した。外ではなく、内に向かうベクトル。

シューゲイザーはその名が示すとおり、Shoe(つま先)をGaze(見つめる)スタイルを徹底した。下を向いてギターでひたすら轟音を奏でる。ギターで大きな音を出すこと以外に、何のパフォーマンスが必要なのか、と問いかけた。rideやmy bloody valentineに代表される。

Does the body rule the mind
Or does the mind rule the body ?
I dunno...

Ask me why, and I'll die
Oh, ask me why, and I'll die

Am I still ill ?

(the smiths, still ill, 1984)

僕にとって「ロック」とは、弱くて情けないもので、そして、そんなに簡単に他者と共有できることのない大いなる勘違いである。

僕はまだ病んでいるのか。

それが、僕が「ロック」というものを明確に意識し、自分で解釈できた瞬間である。

OK,何の問題もない。





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2007年09月12日

午前2時の桂川陸橋

午前2時の桂川陸橋で聴いていたのは、
ベンジーでも、チバでも、ましてヒムロでもホテイでもない。

大江慎也である。




おいらを愛してくれるなら、なんでもお前の意のままに(大江慎也 1980)。


ロックンロール。
bmさん本音を語ってみたけれど、いかが?

OK,何の問題もない。
posted by kazar at 03:20| Comment(2) | TrackBack(0) | 音楽