2008年11月10日

Refsignはじめました。

京都のデザイン会社エニアックインターナショナルの佐野さんが中心となって立ち上げられた「Refsign」というサイトで、僕もブログ執筆をはじめました。
Refsign
デザインマガジン
ネットとリアルの融合。
http://www.refsign.net/

ブログ執筆陣は、京都のデザイン実践者たちが名を連ねています。

僕はここにどのように関わっていけるだろうか?

僕自身も楽しみにしています。Refsignのエントリも今後楽しみにしてください。

OK,何の問題もない。


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2008年10月08日

グッドデザイン賞受賞

情報学環・福武ホールが、おかげさまで2008年度グッドデザイン賞を受賞しました。

建築物の特性ではなく、
どのような活動(Activity)をデザインしているか、
というアプローチ。

関係のみなさん、お世話になりました。ひとつの成果としてかたちになったことをうれしく思います。

OK,何の問題もない。
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2008年08月25日

Re: いまのデザインにできないこととは何か

いまのデザインにできないこととは何か
について、いろいろ考えた。

うまくまとまらない。

まとまらないものを、まとめてしまうと何かかこぼれ落ちる。
そうならないために、もう少し、まとまらないものとつきあうことにしよう。

引き続き、考えていくことにする。

OK,何の問題もない。
posted by kazar at 15:45| Comment(0) | TrackBack(0) | メディア・デザイン

2008年08月23日

いまのデザインにできないこととは何か。

グッドデザインエキスポで思ったこと。

非常に多岐に渡る分野のデザインが一同に集結している。
「見渡してごらん、僕らの生活を構成するモノゴトに、デザインされていないものはないんだよ。」
そう言われれば、確かに納得してしまうかもしれない。

「生活を豊かにする」というデザインのイデオロギー。
「いや、人間中心では足りない。環境問題へのアプローチが必要だ。」というイデオロギー。

デザインとは何か。

★★★

ここ1ヶ月は、ほぼ東京で暮らしている。

電車に乗るたびに、どこかの路線が人身事故で止まっているというアナウンス。
電車の中で隣にもたれかかるように眠る人。泥酔してホームに座り込む人、ベンチでつぶれる人たち。
みんな疲れている。ストレスフルな毎日。
夕方には毎日のように、暗雲が立ちこめ稲妻が光る。そして激しい雨。

「生活は豊かになった」のだろうか?
光があるから闇がある。僕は、暗いところばかりを見ているのだろうか?

デザインとは、生活を豊かにするもの、であるのか。

グッドデザインエキスポに並ぶモノゴトたちは、生活を豊かにするもの、であるのか。

デザインとは何か。

☆☆☆

デザインとは○○である。

不定型なデザインの概念をどうにか定義しようと、さまざま人がさまざまなコンテクストにおいて、その定義を試みてきた。そして、多くの定義があり、多くのイデオロギーを生み出す。
そう、「デザイン」という語を中心において。

デザインとは何か。

 ↓

ふと、ひっくり返してみる。

 ↓

デザインとは「何でない」のか。


デザインは全能ではない。デザインとは万物のすべてではない。

いまのデザインにはできないことがある。
それが、これからのデザインが行うべき次の目標だろう。

☆★☆

いまのデザインにできないこととは何か?

グッドデザインエキスポは、あと1日ある。

明日は、多岐に渡るデザインを見直してみよう。「いまのデザインにできないこととは何か」という視点で。

OK,何の問題もない。
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グッドデザインエキスポ2008・その2

僕らの展示内容について紹介。

情報学環・福武ホール」なんだけど、安藤忠雄さんの建築設計物として応募していない。

じゃー、何かって?
その建築物のなかで、
どのような活動(Activity)をデザインしているか
ということ。

僕らがデザインしたのは、色とかかたちじゃない。

以下のコンセプトをもとに、活動(Activity)をデザインしている、のさ。

コミュニティ
道路と建築の間の縁側的空間であるUTカフェテラスに多様な人々が集い、対話が始まる。

 ↓
対話の深化
福武ラーニングシアターおよび福武ラーニングスタジオにおいて深化した対話から新しいアイデアが生まれる。

 ↓
新しい研究の創造
知識創造型ラウンジである学環コモンズ、産学・社学連携拠点である福武ラーニングラボにおいて研究活動の創発が行われる。

実際の展示はこんな感じ。

P1000170.JPG

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週末おヒマなら、会場の東京ビックサイトまで、どうぞ。

今日は、他のノミネートも見回ってみた。
そして、思ったことがある。それはまた後日。

OK,何の問題もない。
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2008年08月22日

グッドデザインエキスポ2008

このブログ、告知ばかりになってておもしろくないな…。
次のエントリくらいからは、他のことも書きます、maybe。

情報学環・福武ホールをグッドデザイン賞にノミネートしており、現在審査中です。
情報学環・福武ホール/2008年度グッドデザイン賞ノミネートデザイン

本日夕方より3日間、グッドデザインエキスポ2008にて、ノミネートデザインの展示が一般公開されます。約1,700点がひとつの場所に集まっているので壮観です。
グッドデザインエキスポ2008

会期:
2008年 8月22日(金)18:00ー21:00
8月23日(土)10:00ー21:00
8月24日(日)10:00ー16:00

会場:
東京ビッグサイト 東展示棟 東5、6ホール

入場料:
1,000円(3日間共通)/中学生以下無料

他にもデザイン関連のさまざまなイベントがありますので、東京・お台場に遊びにくるついでにお立ち寄りください。

OK,何の問題もない。

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2008年07月07日

帰国:ひとつの成果としてのウィーン

P1000077.jpg

ウィーンから無事に帰国。

今回の学会参加は、僕にとってひとつの節目でもあった。
(ただ、ウィーン・ヨーロッパ紀行にうかれていたわけではない、よ。)

望月先生に発表いただいた、僕も関わった研究は、「Outstanding Paper Award(優秀論文賞)」という栄誉をいただいた。

ほぼ10年前、自分の活動目標として、「デザインというものの考え方を、従来の業界だけでなく、広く一般的な概念として適用させる」と、無謀にも、そしてあまりに身勝手に決意した。「デザインに何ができるか」挑戦してみることにしたわけである。

そして、その途で教育工学研究者たちに出会い、多くのコンピュータやネットワークの教育・学習利用に関する研究プロジェクトに参加する機会をいただき、ここまで来た。そのなかで、常に「デザインの考え方」が教育・学習研究にどのように適用できるかを、問い続けてきた。

こたえはまだない。

しかし、今回の研究に栄誉が与えられたということは、僕の無謀な行動のひとつの成果として捉えられる。そう、こたえはまだないが、その問いは無謀ではなかった、と。

デザインにはまだできることがある、たぶん。


明日は、3回生ゼミの個人研究計画書の提出期限。
「メディアデザインに何ができるか 〜現代的社会問題に挑む」
という大きなテーマで、個々の問題提起から、具体的な研究計画書を作成する。

ウィーン滞在中にも、学生たちからドラフトが送られてきて、その添削に追われていた。おかげで、毎夜ホテルのバーが閉店するまでPCに向かっていたら、すっかり常連になった。(無料無線LANがパブリックスペースにしかなかった。決して飲んだくれていたわけではない。ビールもワインもおいしかったけどね。)

締切一日前を切った。僕が帰国したタイミングを狙って、絶え間なくドラフトが送られてくる。今がピークである。

僕がチェックに手を抜かないのは、単に指導熱心だからではない。それが僕の追究するテーマだからである。そこを譲ると僕には何も残らない。

そう、デザインにはまだできることがある、たぶん。

まだデザインがうまく適用されていない領域に果敢に取り組んでいってもらいたい。

OK,何の問題もない。













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2008年03月27日

東京大学 情報学環・福武ホールのメディアデザイン

もう3月末。

今年度、僕がふらふらになりながら手がてけたシゴトのリリースラッシュがはじまった。これからいろいろ紹介していくことにする。ふらふら。

そのなかで、一番大きな対応案件がこれ。
東京大学 情報学環・福武ホール
情報学環・福武ホールは、福武總一郎氏による寄附に基づき、安藤忠雄氏の設計によって建築され、2008年3月26日に竣工しました。

僕が担当したのは、ロゴマーク、サイン(館内案内表示等)、Webサイト、冊子等のメディアに関するデザインのディレクション。
東京大学 情報学環・福武ホール :: デザインコンセプト紹介

デザインは、Primus designの吉田さん、office niceの清水さん。ほんとにいろんな無理難題に対応してもらった。ひとまずおつかれさま。

昨日、竣工式典に出席。
東大:最先端の教育施設完成 安藤忠雄さんが講演、「安田講堂を超えてほしい」
- 毎日jp(毎日新聞)

東京へ用事の際は、ぜひ一度立ち寄ってみてください。
安藤建築の迫力と繊細さを実感できます。
ついでに、ロゴやサインにも目を向けてくれたらうれしいな。

OK,何の問題もない。




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2007年12月30日

デザインがどう成立するかを問うデザイン

わが師、jsato先生の水門の色に関するエントリから。

水門の色、という問題
もし、水門の扉体が殺風景で困るから、何とかしてくれ、お金はいくらでも出す、と言われたら、わたしならこうする。
(中略)
いやいや違うぞ。
やっぱり何かがひっかかるのだ。

全体を解決しなければならない大きな問題を棚に上げたまま、手の届く範囲内で何とかとりつくろってしまおうとするような、気持ちの悪さがあるのだ。

こういう考え方にしびれます。ステキ。

まず水門のようなインフラ施設に絵を描くのは、それに注目してほしい、もっと愛してほしい、という行政側の願いがあるからだろう。それだったら水門の表面に興味を持たせるのではなくて、役割や機能の方に興味を持たせなければならないのではないか。


僕が言っている「デザインがどう成立するかを問うデザイン」というのは、こういう考え方に依拠している。

僕は、このような「そもそもを疑う視点」を、多くの師から学んだ。その学びは、この先にどう活かされるのか。僕は試されている。

OK,何の問題もない。




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2007年09月26日

「デザインとは何か」を問い続けること

教育工学会に参加して5年目になる。
これはイコール、僕が「デザイン」から、「教育・学習」のフィールドに足を伸ばして5年経ったということである。

当初は、「デザイン」を教育や学習で役立てるために、「教育・学習」のフィールドに足を伸ばしてみるという意識だった。
でも、5年経って、痛切に感じていることは、「デザイン」の現場や美大などのデザイン教育環境にいる時よりも、「デザインとは何か」を真剣に考えなければならなくなったことである。

普段日本で暮らしていて、取り立てて日本人であることや、日本文化を意識したり、その意味を問うたりする機会はほとんどないだろう。でも、外国に行くと、日本文化の説明義務を負わされることがよくある。その時に、自分が日本人であるのに、日本文化についてよく説明できないことを自覚する。自分のことを、自分がうまく語れない。

これと同じである。
いわゆる「デザイン」の現場にいると、その場で自分が行っていることが「デザイン」であるので、あえてその意味を問うたり、その行為自体を説明する機会は少ない。

しかし、自分の言語体系とは異なる世界で、「デザイン」を語るためには、その「あえて問われないこと」を問わなければならない。

「デザイン」から「教育・学習」のフィールドに出かけて、「教育・学習」のさまざまな知見を得られたのは確かに収穫だといえる。
でも、最も大きな収穫は、「デザインとは何か」を問う姿勢を要請されたことである。

「デザイン」の専門家であることとは、「デザイン」を専門にしない人たちにとって、「デザインとは何か」をよく理解できるように説明できることである、と思う。

僕は、「デザインとは何か」を、できるだけ広くいろんな人が理解できるステキな説明ができるような、「デザイン」の専門家になりたい。まだ、その道は長く険しい。

でも、
OK,何の問題もない。
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2007年09月20日

記号的飲料

摂取カロリーを気にするようになる生活。
自然にエネルギーを放出できるほど、いつまでも若くない。
出力を大きくすればいい、というかもしれない。でも、無理は続かない。
だから、入力を制限しないといけない、わけで。

口に入れるものすべてに気を配ってみる。

カロリーゼロの飲み物。僕はそれを「記号的飲料」と呼ぶ。

そう、「コーラ」のような「コーラではない何か」。
のどごしや味は「コーラ」。でも、体内では「コーラ」として処理されない何か。
感覚器官のみシゲキする、記号的飲料。

街は記号であふれている。何かの代わりになる何か。
解釈項は無数に存在する。その道標を示すのが、「デザイン」という行為。

OK,何の問題もない。
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2007年09月07日

デザインにおける「デッサン」とは?

ひとつのモノを、数十分、数時間、数日、数週間ずっとじっくり見続けたことはありますか?

デザインを志して、大学受験で実技を選択するものにとって「デッサン」は避けられない。
特に美大受験を目指す受験生は、毎日デッサンに励んでいることだろう。

でもね、デザインにおいて重要なのは、「絵」としてうまいデッサンを仕上げることじゃない。

確かに、デザイナーにとって、自分の頭にあるイメージを正確に描写したり造形したりする能力は必要である。でもそれだけではデザインに必要な能力の半分にも至っていない。
より重要なことは、そのイメージやモノの特徴・機能・社会的価値・有用性を、言語(自然言語=いわゆるコトバね)にて説明できることである。そのためには、モノの形態を正確に把握できなくてはならない。

デザインという文脈で、デッサンにおいて鍛えられているのは、実は「描写力」ではなく、「モノの形態を正確に見極められる力」である。

ずっとそう思っていたところに、最近読んでいた本の解剖に関する養老孟司の発言のなかに、同じような考えを見つけた。

解剖というのは、見ているものを言葉に概念化していく作業なんです。口を見ていたら、「口」という言葉をそこに与えて、それが何かをまとめていく。見ているものについて考えなくてはいけない。言葉という形にしなくてはいけないわけです。例えば、「この灰皿を見ていろ」と言われるのと同じです。目の前にある灰皿を見つめながら、「灰皿」という言葉を与えて、何の役割かどういう存在かなどを考え抜くんです。
(養老孟司・内田樹 逆立ち日本論 新潮選書 2007 p245)


そう、デッサンとは、「モノを解剖し、それぞれのパーツとそれらの関係性を言葉に概念化していく」ための訓練であるといえるだろう。
そのために、デザインを志す者たちは、ひとつのモノを、数十分、数時間、数日、数週間ずっとじっくり見続けているのだよ。

そして、絵がうまいかどうかで、デッサンを敬遠し、デザインへの道を諦めている方がいたらそれは大きな間違いである。必要なのは「モノの形態を正確に見極められる力」であり、デッサンはそれを身につけるためのひとつの方法でしかない。それ以外に方法はいくらでもあるはずである。

「それ以外の方法」を考え、実践し、定着させていくのが僕のシゴトのひとつである。

OK,何の問題もない。

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