2008年04月14日

1年の成果

今の大学に来て、1年が経った。
そんな今日の学生との会話。
学生A 「つかれてますね」
僕 「ねてなくてさ」
学生A「誰と飲みにいってたんですか?」

また別の学生と。
僕 「いやー、眠い」
学生B 「ねてないんですか」
僕 「うん」
学生B「どこで飲んでたんですか?」

みんなすばらしい返しだね。
こんな会話がいろんな学生と普通に成立するようになったのが、僕の1年の成果です。


今日は、とある報告書の締切で徹夜作業だった。
しかも、午前には某雑誌のインタビューが入ってて、朝から大学にでなければならず。
上の会話は、それらをこなして一息ついた午後の一幕。

そう、昨日はたまたま仕事していただけ、さ。

OK,何の問題もない。


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2008年03月18日

若者たちへ

先日(っていっても1ヶ月以上前になるが)、高校で授業を行った。

うちの大学の付属校で、すでにうちの学部に入学が決まっている3年生に対して、入学事前講義をするというもの。以下のような内容。
「自分のやりたいことを実現する学びのデザイン 〜大学で経営学を学ぶこととは?」

自分のやりたいことを実現するために経営学はどのように役立つのか?いや、大学での学びをどのようにデザインすれば、自分のやりたいことを実現できるのか?そもそも大学で学ぶこととは?経営学って?入学直前の根源的な問いについて、この場で一緒に考えたいと思います。

事前に、「『自分が将来やりたいこと・就きたい職業』と『経営学』との関係について」のレポートを書いてきてもらった。

そして授業では、その内容を踏まえてどのように大学で学べばよいかを、まず各自で考えてもらう。

その後、グループをつくって、それらを各々確認してもらい、共通点と相違点(独自の視点)をまとめて、発表してもらった。

それらの流れは非常にうまくいった。
将来像も明確で、議論もうまくできて、人前での発表もうまくできる。何もいうことないじゃないか。

素直に受け止めたいところだけど、でも、何かひっかかるんだよね。

高校生ってそんなにこちらの要求をうまくこなせる年頃だっけ?
どうか「大学の先生が来てるんだから、ちょっといいとこ見せとこうか」という腹黒さであってほしい。
本質はもっと、世の中や世間、社会、大人に対して、根拠のないアンチテーゼを示すものであってほしい。
単純に従ってもらいたくないわけよ。

だってさ、こっちだって自分を越えていくヒトを育てられないと意味ないわけだし。そして、簡単に越えさせないように抗うのが自分の日々をモチベートするわけだしさ。

そういう緊張関係のなかにいたいと思う。
OK,何の問題もない。

↓この人たちUKの十代。恐るべし。
Cajun Dance Party - The Next Untouchable


Cajun Dance Party - Amylase

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2008年03月03日

アライメント

授業期間を外れると、毎日が非常に煩雑になる。
大学教員は休みが長くていいね、ってそんなわけない。

授業期間は、決まった曜日・時刻に授業が訪れ、ある程度決まった人たちと顔を会わせるので、ペースを保つことができる。

しかし、授業期間を外れると、毎日異なる内容のシゴトに対応するために、異なる時間に、異なる場所に出向き、多様な人々と接することになる。そのため、毎日決まった時間に同じことをするというサイクルをつくることができない。

このような時こそ、アライメントをうまく行う必要があるのだが、なかなか難しい。アライメントとは、調整軸に沿ってどれくらいズレているのかを感知し、それを修正する行為だと思う。つまり、「軸」がなければならない。

この場合の「軸」とは、自分の立ち位置である。
多様な場所で、多様な人々と接するときに、自分の立ち位置を明確にもって対応すること。常に、自分の調整軸とそのズレを感知し、軌道を修正すること。

そう、僕の立ち位置は「デザイン」である。しつこくまた宣言するよ。

多様な場所に出向くと、いろいろな価値観や意見に触れ、いろんなことに感化される。そんなときにこそ、自分の基本姿勢を捉えなおさなければ。「デザインとは何か」をちゃんと考えなければ。

自分の基本姿勢と、新しく出会った知見は、どれくらいの距離、どんな位相のズレがあるのか。ということを丹念にマッピングしたいところだけど、日々の速さに意識を失う。

本当はこれで そう 本当はこのままで
何もかも素晴らしいのに
(エレファントカシマシ,風に吹かれて,1997)




まずは、そんな日々をそのまま受け止めてみよう。

OK,何の問題もない。



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2008年02月06日

江別へ

関西空港にいます。

明日、立命館慶祥高校で出張授業のため、これから北海道。
この高校、何の因果か、僕の出身地の江別市にある。
江別はこんなところ

早速、飛行機遅れてるけど…。

OK,何の問題もない。
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2008年02月02日

しゃべれども、しゃべれども。

先々週末で後期授業は終了。

授業中はなかなか学生と個別に話をする機会がつくれないので(なんか矛盾してるような気もするけど)、先週今週と毎日いろいろな学生が研究室を訪ねてくる。来週も何人もくる予定が。

というわけで、実に多くの学生とよくしゃべった。
授業のこと、大学生活のこと、就職・将来のことなど話題はさまざま。
So, if there's something you'd like to try
If there's something you'd like to try
Ask me -I won't say "No"- How could I ?
(the smiths,ask,1987)

何かやってみたいことがあったら
もし何か挑戦してみたいことがあったら
僕に聞いてごらん 絶対にダメとは言わないから

みんな自分の思うようにやればいい。それでも不安なら、
Ask me -I won't say "No"- How could I ?

そのうち、興味深いプロジェクトをしかけている学生に出会う。
Ecompass

そのコンセプトには、環境問題とデザインを結び付ける新しい視点があると思う。今後の具体活動を楽しみに、支持していきたい。

と、彼のブログに僕と話したことが書かれている。
先生はこれらの研究を特に商業目的につかうつもりはない、
研究したいだけなのだと言っていらっしゃったのがカッコよかったです。

研究者の鑑のような発言だ(?)。
ここだけ切り取られると、読者にはかなりメディアリテラシーを駆使してもらわなければ誤解を生むな。

「研究したいだけ」だとカッコよくも何もない。

確かに商業目的にはあまり興味ないけど、決して「研究したい」だけではない。
すべての研究とその成果は、研究者個人の自慰的行為ではなく、社会に広く還元されるべきだと思っている。

僕はそれを無償で奉仕するつもりはない。
ただし、得られる報酬は「お金」でなくてもよい。お金とは何かの代償である。何がお金に代わり、そのお金が何に代わっていくのかを冷静にふまえる必要があろう。
うまくいえないけれども、以下のわが師のエントリに、僕の言いたいことがあるので参照してほしい。

沙漠人 -エコについて(後編)


そう、それは環境とエコロジーの問題にも深く関わっている。
またゆっくりと話そう。

OK,何の問題もない。


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2008年01月24日

加速する日々の綻び

日々が加速している。

この時期どうしようもなく対応案件が多い。
一日のタスクの許容量を超え、いくつもが積み残され、いくつかがこぼれ落ちる。
迷惑をかけている方々ごめんなさい。

昼間は、期末定期試験の監督×2つ。
2つ目の試験を片づけた後、研究室にこもる。

2つ。…だと思っていた。

しかし、3つ目の監督があったことに、事務からの電話ではじめて気づく。
確かに監督リストに僕の名前が。すっかり見落としていました…。何とか間に合いましたが、関係各位ほんとにごめんなさい。

全国的な寒気を免れず、大学も吹雪。雪には抵抗ないが、寒いものは寒い。
帰りの電車は15分遅れ。ホームであたたかさを求めて買った缶コーンスープは、全然あったまってない。

…ついてない日。

…だったのだろうか?

そんなことすら自覚できないまま、今日も光速で過ぎ去る。

OK,何の問題もない。




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2008年01月17日

Ask me why

わが師のブログから。
沙漠人 エコについて 

衣食住。すべてお金さえあれば手に入る世の中かもしれない。ただ、そのお金を手に入れるためには労働時間という自分の一部を売りに出さなければならない。時間だけじゃない、魂と肉体の一部も売りに出すことになる。パソコン作業による目のトラブルや足腰の冷えなどという小さな問題に始まり、仕事上のストレスによってひどいときは肉体的・精神的に病気になる。自分のほぼすべてを売りに出してやった仕事によって得られる給料とは、どれだけのお金なんだろうか。それは一体どんな価値があるんだろう。自分の生活にどんな潤いを与えているんだろうか。あるいは家族にとって、どんなためになっているんだろうか。

「先生はなぜ今の職につこうと思ったんですか?」という学生たちからの問い。
「なぜそんな儲からない仕事をしてるの?」という周りの大人からの問い。
「今の仕事は楽しい?」「今の生活に満足している?」

どれにもうまくこたえられない。
どうこたえても違うような気がする。そんな単純なことじゃない。
Ask me why, and i'll die
Oh, ask me why, and i'll die
(the smiths, still ill, 1984)

僕は何を失い、何を得るのだろうか。
いや、何かを得るためには、そもそも何かを失わないとならないのだろうか。

「ひとつ質問していいか?」
僕は肯いた。
「あんたは本当にそう信じてる?」
「ああ。」
鼠はしばらく黙り込んで、ビール・グラスをじっと眺めていた。
「嘘だと言ってくれないか?」
(村上春樹,風の歌を聴け,1979)


嘘だと言ってくれないか。
OK,何の問題もない。

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2008年01月09日

ノートを買いに。

3回生ゼミのあと、ゼミ生が「テストが近いので、講義ノートを買いに行く」というので、大学教員に見えないメリットを活かし(?)ついていった。

講義ノートなら、Anote(えぇノート)

美大出身の僕は接してこなかった文化である。まだまだ世の中は広く、僕の知らないことばかりだ。

行ってみると、販売所には行列が。ちょうど宝くじ販売所+パチンコ景品交換所みたいな感じ。申込書に科目コードを記入して窓口に提出し支払いをすると、奥の別窓口から、商品が渡される。

需要と供給の絶妙なバランス。

もちろん、僕の担当授業はテストをしないのでない。ちょっとあってほしいような気もしないでもない。


OK,何の問題もない。


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2008年01月04日

グッバイなまら

札幌の「なまら超辛」という日本酒を飲んでみた。

080104.jpg


確かに辛い。
広島・福山のスーパーの酒売り場で札幌の酒が手に入る時代。フランス・イタリア・チリのワインだって、アイラ島のシングルモルトだってある。
空気も気候も異なる地での味わいは、みんなたぶん全然違うんだろう。いつか原地で味わいたいね。

僕は北海道出身であるが、酒を、食べものを味わえる年齢までそこにいなかった。だから、北海道の酒事情はよく知らない。おいしいものもよくわかっていない。残念ながら。

「なまら超辛」のラベルには、

「なまら」とは、北海道の方言で「とても」「物凄い」の意味です。

と書いてある。間違いではないだろう。でも、何か違う。

まず、「なまら」を北海道の方言としていること。そして、「とても」「物凄い」の意味と言い切っていること。この2点が気持ち悪い。

僕は十代にこのコトバを何万回発しただろう。

北海道を離れた今のことはわからないが、当時は若い世代しか使っていなかったように思う。

若者特有の何でも大げさに語ってしまう含み。まだ見ぬ世界の広さに希望と期待をもった誇大表現といっては言い過ぎか。北の大地の若者にはそんな意味をもつコトバだった。

だからそれを、「方言」として大きく括ってしまうのには抵抗がある。親の世代以上は全く使っていなかったし。ちょうど、「超」が女子高生コトバとして一世を風靡した感じに近い。
そう、ロラン・バルト風にいえば、僕らの世代のエクリチュールだった。

そして、それは「とても」「物凄い」とは明らかに異なるものだった。
だから、「『とても』『物凄い』の意味」としてしまうことは気持ち悪い。僕らは、時と場合に応じて、「とても」とも「物凄い」とも使い分けていた。
「なまら」でしか表せない概念と状況がそこにあったのである。あえて意味付けするならば、「なまら」とは、「とても」でもなく、「物凄い」でもないもの、である。
ソシュール風にいうと、[なんだかとてつもない概念]を分節化したときに、「とても」でもなく、「物凄い」でもないもの、といえるだろう。

僕は十代の最後に北海道を離れ、物理的に「なまら」と別れた。[なんだかとてつもない概念]のうち「なまら」が担っていた部分は他のコトバに吸収された。でも、それは些細なことだったと思う。[なんだかとてつもない概念]の大きさはまだそこにあった。

僕はもう十代ではない。
酒の味も食べ物の味も、あの頃よりはわかるようになったんだろう。
でもそれとひきかえに、当時「なまら」や「とても」や「物凄い」が表していた[なんだかとてつもない概念]の幾分かは失われてしまった。

グッバイ、「なまら」と、「なんだかとてつもないことのうちのいくつか」。

OK,何の問題もない。
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2008年01月02日

OK,何の問題もない。

あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。


OK,何の問題もない。

このブログで毎回締めに使わせていただいているフレーズである。
今年も引き続き、僕の座右の銘とさせていただく。

これは、あるわが師の口癖から(勝手に)拝借させていただいている。
残念ながら、それは癒しや安心を与えるものではない。
むしろこのコトバとともに、過酷な試練が与えられるといってよい。

僕は仕事がら、学生をはじめいろいろな人たちから質問を受け、意見を求められ、コメント・アドバイスをしなければならない。

具体的な答えほど、質問者もその場ではありがたがってくれるし、こちらもよいことをした気になって気分がよい。僕もそれがよいことだと思ってきた。このフレーズに出会うまでは。

いろいろ細かいことをチクチク言うことはたやすい。
でも、これまでよしと思ってきた具体的な答えは、質問者の問いの根源と背景を問わずに、その問いを自分勝手な文脈にすり替え、安易な答えを言い放っていただけではないのか。

その場しのぎの満足を与える答えではなく、その問題の本質により深く迫るようなアドバイスを与えるべきではないのか。


OK,何の問題もない。

このフレーズは、質問者自体のあり方を問う。
自分で考えることを放棄し、安易に相手に答えを求める態度を排除する。
本当に問題はないのか。まだ他に考えられるところが残ってるんじゃないだろうか。自ら問い、考えなければならない。
字義のまま捉え、他人に判断を委ねているだけで安心している者は斬り捨てられる。
このフレーズは、過酷な試練を課するものである。


そして、その発話は責任放棄・回避ではない。
そこからはじまる過酷な試練を同行する宣言である。

今年は、3回生からM2までのゼミを持つ。
僕はこのフレーズから、非常に多くのことを学んだ。
今度は僕が伝えていく番である。

そして僕も自分に問い続ける。

OK,何の問題もない。

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2007年12月31日

即位しました

うちの車には、オービスなどを探知/感知するレーダーをつけている。それにGPSがついていて、電波を受信すると「測位しました」という音声メッセージが流れる。

これがいつも、運転席にすとんと座ったときに流れるもんだから、

「即位しました」

に聞こえてしようがない。

うちの車に乗るとちょっと偉くなった気分が味わえます。何の位についたのかはわからないけれど。

2007年を締めくくるネタがこれかよ。

今年もいろんなことがあったけど、今はまだ人生を語らず。
これまで語っちゃってるような気もするが…。

OK,何の問題もない。

今はまだまだ 人生を語らず
目の前にも まだ道はなし
越えるものは すべて手探りの中で
見知らぬ旅人に 夢よ多かれ

越えて行け そこを 越えていけ それを
今はまだ 人生を 人生を語らず

(吉田拓郎,人生を語らず,1974)



よいお年を。




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2007年12月28日

namae

気になる名前のUKの新人バンドを見つけた。
Cazals
↓ここで曲が聴けます。
http://www.myspace.com/cazalsuk

まあ、この名前(ちょっと綴りが違うけど)で大御所にはこの人がいたわけだが。
Pablo Casals(1876-1973)

偶然にも、亡くなったのは僕が生まれた年だ。だから何というわけではないが。

僕も表記を「casal」にしようかな。
YAEGASHI Casal

もはやどこの国の人かわからん名前だな。でも、欧州的にはこの表記の方が違和感ないんだろう。

そうしたらこのドメインも変えなければ。
と思ったら、casal.jp空いてるし。悩みひとつ増える。

OK,何の問題もない。



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2007年12月27日

来年末はどこで何を

午前中は、Webでの会議。
午後は、京都から福山の自宅に移動。

最近は出張などでの移動中は具体的な仕事はせず、いろいろ考える時間にしている。
エアー仕事(@宮田さん)ともいい、ただ寝ているだけともいう。

「来年末はダラスに行くことになる」
という前エントリでの一文が、何だか妙に心にひっかかっている。
もちろん、お遊び程度の予言文を本気で信じているわけではない。しかし、来年末はどこで何を考えているのだろうか、という問いを意識づけた。

僕は今、ちょっと前には想像もしなかった場所にいる。
しかも、その前にいた場所も、以前には想像もしていなかった。

だから今こうして、仕事場から自宅に戻るため、京都から福山に移動していることなんて、昨年末に想像すらできていない。

来年末はどこで何を考えているのだろうか。

夜は、前任校の先生たちと一献。
数学、ドイツ思想、心理の先生と、日本酒の利き酒大会みたくなる。それぞれに異なる味は確かめられたけど、どれが何だったのか覚えられない。残念。

異なる専門分野の研究者と話せるのはうれしい。
今自分が理解している(と思っている)ものは、自分の理解の枠組みのなかで落ち着いているものに過ぎない。つまり、自分の世界のデキゴトでしかない。
自分の理解の枠組み自体を常に更新し、その世界を拡げたい。だから、いろんな分野のモノゴトの捉え方に触れていきたい。

と、殊勝なことを言いながら、いつもただ飲んだくれてるだけ。また誘ってください。

OK,何の問題もない。
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2007年12月24日

こどものころに憧れた夢

最近話題の「天国からのメッセージ」をやってみる。
2007年の僕へ。

元気ですか?2007年ごろの自分のことを懐かしく思い出します。
僕は74歳で、つまり西暦2047年に、寿命を全うして生涯を終えます。周りに迷惑かけてばっかりだったけど、楽しい人生でした。

だたひとつだけ過去の自分に、つまり今のあなたに伝えておきたい事があります。それは 2008年の年末のことです、僕はひょんなことから、アメリカのダラスへ行くことになります。そこで、人生観をくつがえす出来事にであいます。こころに留めておいてください。

最後にひと言、74年間生きてみて思ったのは「こどものころに憧れた夢は、いつか叶うんだな」ってこと。

では、またいつか会いましょう。
残りの人生を存分にたのしんでください。

2047年の天国にて


来年末はダラスに行くことになるらしい。
そして、こどものころに憧れた夢は叶うらしい。こどものころに憧れた夢って何だったけな?

僕は変わってなんかいない 君が変わっただけさ

太陽とか 冒険とか クリスマスとか 黒いブーツが こどもの時から ただ単純に好きなだけさ

(BLANKEY JET CITY,クリスマスと黒いブーツ,1992)


今日、学生と話していると、
「先生っていつからそういう考え方をするようになったんですか?」
って聞かれた。

昔から何も変わっちゃいない。
そう、僕は変わってなんかいない、君が変わっただけさ。

OK,何の問題もない。メリークリスマス。



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2007年12月13日

最近どう?

自分の正直な感想。
最近なんか授業の報告ばっかりで、つまらんブログだな。

なんとかしよう,OK,何の問題もない。
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2007年11月26日

会議・会議

日曜昼に東京へ。
夕方、看護・医療安全教育Webサイト開発研究に関する打ち合わせ。川村先生@杏林大学と厚生労働科研費の継続申請書類の内容についてつめる。

今日は、僕がやっているある研究を公開するWebサイトについての打ち合わせ。プリムスデザイン@新宿にて。

夜に京都へ戻る。体力的にややキツい。

打ち合わせの他にも、いろいろ情報交換。案件をつめるのはもちろんだけど、いろんな情報交換の方が有用だったりもする。

OK,何の問題もない。
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2007年11月24日

そうだ京都、行こう。

とは言っても、ふだん京都に住んでいるわけだが、ね。

RitsのH大先生にお誘いいただき、高雄・嵯峨野・嵐山の紅葉散策へ。とっても「京都」を堪能させていただきました。

連休中日ということもあって、京都駅からすでに大混雑。目的地へのバスは増発便でもまかなえないほどの待ち行列。しばらく待って乗ったバスはすし詰め。大盛況。

まず、最初の到着地は、高雄。紅葉を楽しみながら、神護寺へ。土器(かわらけ)投げで厄払い。

その後、清滝川を望む離れの奥座敷で、鶏すき焼きを堪能。当然、昼間っから飲んだくれ。

071124_132040.jpg

座敷からの風景。贅沢だね。


その後、清滝川沿いに紅葉・杉林〜嵯峨野〜嵐山を散策。

嵐山・保津川の川下りを眺めながら、一献。湯豆腐も堪能。
まあ、結局飲んでるだけなんだだけどさ。ほどよく日も暮れ、ほどよくほろ酔い。

というわけで、京都のよいところをたくさん教えていただいたので、このブログご覧のみなさん、ぜひ遊びにいらしてください。接待いたしますよ。

OK,何の問題もない。



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2007年11月19日

「プロセスが大事」ということ。

僕は、机の前でウンウン唸って何かコトを成し遂げるタイプではない。机の前でアイデアをひねり出せるタイプの人はある意味想像力が豊かなのだと思う。

僕は、そういう意味では想像力が貧困なので、アイデアを捻出するためには、いろんな状況に身を置かなければならない。誤解・曲解を恐れず正直に言うと、多趣味を装い、いろんなところで、いろんな時間に遊んでいるのは、このためである。

だまってじっとして考えられることには限界がある。単に落ち着きがないだけなのかもしれない。でも、より広く、より多彩に考えを巡らすために、僕はいろんなチャンネルを必要とする。あくまで「僕は」である。他人におしつけるつもりは全くない。

大切なのは、自分にあったやり方を見つけること、そしてそれを結果に結びつけること。つまり、ある仕事やタスクの締切において、最大限のパフォーマンスを発揮できるようにすることである。

それが、「プロセスが大事」という真意だと僕は勝手に思っている。
胸をはってみたらいい。空はとても高く、街並みはとても平坦だ。歩く時、立ち止まる時、走り出す時、夢見る時、いつでも、そしてどこの場所にいても、僕は捜し続けてきた。

1988年7月/尾崎豊(アルバム「街路樹」ライナーノーツより)

この一節に傾倒し続けてきた。そう、十代の時からずっと。

OK,何の問題もない。
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2007年11月17日

江別のうた

数ヶ月前から、今さらであるがテレビ神奈川のsakusakuにはまっている。DVDも買ってしまった。

番組の中で、各地の歌をつくるコーナーがあるのだが、僕の出身地(北海道・江別)の歌もあったとはさすが、sakusaku。

江別とはこんなところです。



OK,何の問題もない。



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2007年11月13日

自虐の詩

映画「自虐の詩」を観た。

原作はほぼ20年前の4コママンガである。

大学生の時に、友人に薦められてから、僕の心を離れないマンガのひとつとなっている。ちなみにその友人とは、今や超売れっ子マンガ家として大活躍しているS。彼も超オススメのマンガである。

原作に思い入れのある映画に対して、感想を述べるのは非常に難しい。自分のなかで、原作にまつわる付加的なストーリーを勝手につくりあげているからである。

さらにこの原作マンガの魅力を、他人に伝えることはとっても難しい。とにかく、読んでもらいたい。

構成がとにかく秀逸である。読み進める途中で、いろんな意味でいたたまれなくなって、くじけそうになる。もう読まなくてもよいか、と投げ出したくなる。そこをじっとガマンして読み進めてほしい。前半の構成に意味があることを理解できるだろう。

そしてモノローグで語られる後半以降は「泣く」こと必至である。もちろん、必ず涙を流すとか、嗚咽するとか、そんな表面的なシニフィアンを意味しているのではない。「泣く」というシニフィエが喚起されるだろうという意味である。感覚の表現は人それぞれでいい。

この世には幸も不幸もないのかも知れません。
何かを得ると、必ず何か失う物がある。
何かを捨てると、必ず何か得るものがある。

たったひとつのかけがいのないもの、
大切な物を失った時はどうでしょう?

私たちは泣き叫んだり立ちすくんだり・・
でもそれが幸や不幸ではかれるものでしょうか?

かけがいのない物を失うことは、
かけがいのない物を真に、そして永遠に手に入れること!

幸や不幸はもういい。
どちらにも等しく価値がある。
人生には明らかに意味がある。

業田良家,自虐の詩,1985


OK,何の問題もない。人生には明らかに意味がある。


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