2014年12月31日

for people who help me a lot and to all that I hurt in 2014.

2014年も大変お世話になりました。
謹んで厚く御礼申し上げます。

2015年後半からは、海外で生活してみます。
たぶんまだ見ぬセカイはとても広いのでしょう。
冒険を楽しむ余裕を持ちたい、です。

2015年も変わらずのご支援をどうぞよろしくお願い申し上げます。

OK,何の問題もない。

posted by kazar at 23:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 日々

2011年01月01日

a happy new year 2011

あけましておめでとうございます。

昨年も本当にたくさんの方々にお世話になりました。
この場を借りて厚く御礼申し上げます。
日々をこなすことにせいいっぱいで、感謝の気持ちすらまともに申し上げられない失礼をどうかお許しください。


ブログの更新はほぼとまっていますが、
デザインについて考えることと、デザインに生きることはしっかり続いています。

ふだんのシゴトでは、ことばを洗練させ整理することや、論理整合性や、時代潮流の倫理を踏まえた表現に細心の注意を払ってきました。
そのような表現形式と作法をソフィスティケイトすることで、多くの方々に話しかける姿勢に意識を傾け、デザインという考えを浸透させようと努力しています。

でも、もっと大事にしていることは、整理される・洗練される前の、まだ混沌とした世界と状況をできるだけさまようことです。きれいな表現はいまどきいくらでもテンプレートを並べればできるけれども、その背景にどれだけ広大な思索の風景を覗かせられるかは、相当の意識と考える時間コストを費やさないと実現できないと思います。

年齢を重ねることで、ひとつひとつの出来事に費やす個別の時間がどうしても減っていきますが、かたちにならない混沌とした世界をないがしろにして、安易に見た目だけきれいな表現を量産することだけはしたくない、と思います。

そんなわけで、今年の目標も、きれいなことばで整理することはやめます。
なんだかよくわからない、まだかたちにならない、でも確実にやりたいやってみたい、そして、今の僕に足りていないこと、置き忘れていること、手がつけられずに放ってあること、気づかない振りをしているだけのこと、見えない振りをしているだけのこと、いろんな気持ちがここにあります。
そういうまだかたちにならない混沌とした世界をさまようこと、そこでたくさんの弱さと向き合うことで得られる強さを、今年は大事にしていきたいと思います。


だから、みなさま今年もどうかどうぞよろしくお願い申し上げます。

OK,何の問題もない。

posted by kazar at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 日々

2009年12月31日

thanks 2009

みなさん本年も大変お世話になりました。
厚く御礼申し上げます。

来年もデザインについて深く考え続けたいと思います。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

よいお年をお迎えください。

OK,何の問題もない。
posted by kazar at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2009年12月26日

fire prevention

通りの向こうで聞こえる。

「火の用心。マッチ一本火事のもと。タコ焼き焼いても、家焼くな。」

僕はいま関西にいる。

OK,何の問題もない。

posted by kazar at 21:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2009年12月08日

the anniversary of ...

大平先生の訃報から一年が経った。

その不在はあまりにも大きい。

僕ははたして、恩返しできる一年を過ごせただろうか。

こたえはまだない。

OK,何の問題もない、と口にしてみる。


posted by kazar at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2009年11月24日

don't expect too much

さっき広島入り。

明朝、第29回医療情報学連合大会
http://home.hiroshima-u.ac.jp/~humind1/comhi2009/japanese/
のワークショップに参加するため。

☆★

ブログの更新を怠っていて、再開したらいろいろ反応があった。

むかしの学生さんに、
>先生のブログには 励まされます。
というメールもいただいた。どうもありがとうございます。
励まされるのは、僕の方です。

誰かの役にたっているらしい。
僕の勝手な都合で、勝手な理由で、更新をとめるわけにいかないね。

とはいえ、誰かのために、書いているわけでもない。
そんな下心は誰にも響かないだろう。

そもそも、何のためにブログに書くのか。
それがわからないから、書いてみることにしたんだった。

ブログをはじめる(2007年08月21日)

わからなくなったら、そもそもの最初に戻ってみること。

何かにつまづき、迷った時に、立ち返り参照できるモノ・場所をつくる。
デザインプロセスってそういうものだと。

OK,何の問題もない。




posted by kazar at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2009年11月23日

no thanksgiving

世は祝日なのに、ただの授業日。
M1ゼミと、学生相談対応、論文書き。

半期15回の授業回数を死守するためには、祝日も授業するのだ。
それによって、何が得られて、何が失われるのだろう。人として。
政府の事業仕分けにも、同じコトがいえるんだろう、ね。

まあ、祝日に平常授業があることはもうフツーのことなので、違和感はない。
ただ、その麻痺具合にて、日常にはいろいろ支障がある。

また、今日がジャンプの発売日だと思っていたら、先の土曜だったという。
もう今夜のコンビニには見つからず。ああ。

ここでジャンプも潮時か。中2病治癒に向けたリハビリにはいいのかも。でもこんなことだけでは治らんだろうな。

明日は、会議+教授会。その後、夜には明後日の広島での学会のために移動。

OK,何の問題もない。


posted by kazar at 11:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2009年11月15日

keep the sabbath

オフ。
だけど、原稿書き。筆未だはやくならず。
でも、なんとかひとつは目処がつく。

ちょっと用事があって、広島市現代美術館へ。

今月はまだまだ原稿書きが続く。

OK,何の問題もない。
posted by kazar at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2009年11月14日

make little progress

今日は隠って原稿書き(新幹線移動を含んでいるが)。

しかし、自分の筆の遅さと集中力のなさにはあきれるね。
いつになったら、さくさく原稿が書けるようになるんだろう。

っていまさらだから、もうのぞみはないのかも。
筆のはやい人にあこがれる。

あー、進まん。


OK,何の問題もない。
posted by kazar at 19:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2009年11月13日

never change

休校はとっくにあけていた。
ひっそりとブログを再開する。

今日は来年度ゼミ生募集のためのガイダンス。

ゼミ説明のために、壇上にあがる。

「自分で考え、自分で判断すること」

とだけ述べる。それ以上言うことはない。

その後、立食パーティ。ゼミ所属希望生との懇談。

「自ら何かを求める人には協力を惜しまない。だから好きなだけやってみたらいい。」

と言う。

★☆★☆

ひさびさのブログ投稿なので、過去のものを見返していた。

ふたつの記事に目がとまる。

2008年12月09日:Re: OK,何の問題もない。
2008年12月02日:equal oppotunity or not ?

ああ、結局言うことにいつも変わりがない。


OK,何の問題もない。



posted by kazar at 23:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2009年05月21日

Influenza is raging

休校。

OK,何の問題もない。
posted by kazar at 07:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2009年04月02日

opposite shore and this shore: seeing off and welcome

気がつけば、年度が変わり、新学期が始まっていた。

つい数日前(もう10日以上前だけど)には、卒業生を送り出したばかり。
社会へ旅立つ者を見送った。そして僕は大学に残る。

数日前には、美大でお世話になった先生の退任パーティに出席。
ご本人はきっと覚えていないだろうけど(覚えていたとしても、そういうフリはされないだろうけど)、
「大学教員になるしかないよ」というコトバに強く突き動かされて僕は今に至っている。
大学を去る恩師を見送った。そして僕は大学に残る。

今日は、新入生を迎える。ガイダンスにて軽くあいさつ。
彼らにとって僕は、既に・前から大学にいる人である。

見送ることば。迎えることば。
なんだか歯が浮く違和感。僕はどこに立ってものを言うべきなのか。

大学ではカリキュラムや組織改革が進む。今年度はいくつか委員としてその実務を負うことになる。

「デザインの知見をまだあまりデザインの考え方が浸透してない分野に持ち込んでその有用性を示すこと」

僕の指針である。

見送る者、見送られる者。
迎える者、迎えられる者。

僕は、彼岸、此岸のどちらにいるのだろうか。
陸地でも海でもない、こちら側でも向こう側でもない、「渚」に立つものでありたいと願う。

OK,何の問題もない。

posted by kazar at 23:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2009年02月14日

How about CSR ?

東京にいる。

研究の打ち合わせと仕事の打ち合わせ。



シゴトをサポートしてもらっているYくんのipodが爆発したので、Apple storeにつきあう。

正確に言うとドカーンっていう爆発はしていない。

でも、昨日「ipodがふくらんでるんですよ」と見たら、確かにipodのお腹がぽっこり。
そして、今日「ついに爆発しました」と見たら、中の電池が異様に膨張して、筐体を突き破っていた。

で、銀座のApple storeへ。

僕らがクレーマー化するまでもなく、即現品交換。

お店の人から、
「かなり熱を発していたと思うんですけど、火傷や衣服の損傷はなかったですか?」
「変な煙はでませんでしたか?」
「煙を吸って体調を悪くしませんでしたか?」
など聴かれる。
確かにそんなことはなかったわけだから、Yくんは正直に別になかったと答える。

別にその担当者が悪いわけではないことは明白だし。
その対応に別段問題はないわけだし。
だから別にクレーマー化する意味はない。

購入して使い続けている製品が不具合をおこした。
購入者が製造・販売している企業に行き、現品交換してもらった。

CSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)って何だろう?

★★

滞在先へ帰るための電車は、人身事故で大幅のダイヤ乱れ。

「次の電車はいつ発車できるかわかりません。この電車をご利用ください。」
というアナウンス。異常に混む車内。

とはいえ、都会の人たちにそんなに動揺する様子はない。
都会生活者にとって取るに足らない、いや、都会生活に必要なリテラシー。感覚を麻痺させること。

「お急ぎのところ、お疲れのところ、大変申し訳ございません。現在、人身事故の影響で大幅にダイヤが乱れております。」

もちろん、そのアナウンスをしている車掌のせいではない。電車の運営会社のせいでもない。そこで、乗客に対する配慮ってなんだろう。

CSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)って何だろう?

★★★

僕は今、経営学部にいる。
CSRやそのマネジメントをやっていきたい、という志向の学生がいる。

CSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)って何だろう?

考えること、またひとつ増える。

OK,何の問題もない。


posted by kazar at 23:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 日々

2009年02月12日

not a desperado but a fool.

今さらだけど、ブログ再開ということで、今年の目標を立てようか。

「普通のことを、普通にすること。」

これが僕の今年の目標である。
普通のこととはほんとにフツーのことである。

歯をきちんと磨くこと。お風呂にきちんと入ること。
ちゃんと夜寝ること。他にもたくさんある。

これまで、こんな小学生でもできるだろう普通のことを疎かにしてきたように思う。
「普通のことを普通にできること」の偉大さに気づかない愚か者。

普通のことを普通にできないのは、ならず者ではない、ただの愚か者である。カッコ悪い。
大切なことにはいつも後から気づく。

あえて自分でなくてもよい他の誰もができることに、誰もが普通にできることに、最大の努力をしてみる。

OK,何の問題もない。
posted by kazar at 22:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 日々

2009年02月08日

First of all

付属高校の授業で北海道にいる。

「まわりを見渡してみてほしい。デザインされていないものを見つけることができるだろうか。」

デザイン教育に携わる者なら、幾度となく口にする台詞かもしれない。
特に、専門的なデザインの文脈から外れたところで、デザインを語るための決めセリフとして有効なことばである。

今回の高校の授業も、この台詞からはじめた。

まわりを見渡してみる。そこにデザインされていないものは確かにない。

なのになぜ、僕らの生活はあまりいけてないんだろう。なぜこんなに不自由で、つらいんだろう。
だから、デザインを語るべき最初のことばとして、こういうべきなんだろうな。

「まわりを見渡してみてほしい。そこに『もうデザインが必要でないもの』を見つけることができるだろうか。」

確かに僕自身がいけてない。そんなことはわかっている。
まして、すべてが手放しに便利である腑抜けた生活を目指したいのではない。

でも、まだまだデザインすべきことはたくさんある。それは間違いないだろう。

デザインを学ぶ、とは、すでに終わってしまった「デザイン学」という教科書の内容を覚えることではない。教科書なるものがあるとすれば、その内容を常に書き換えていくことなんだろう。

OK,何の問題もない。
posted by kazar at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2009年02月07日

It was really nothing.

勝手ながら、1ヶ月以上このブログを休んでいた。
もうやめたのか、と思った人も少なくなかったかもしれない。

やめたわけではない。ただ休んでいただけ。

別になにか思うところがあったわけでもない。
理由なんてない。

今、ここにまた筆をとる。
理由なんてない。気が向いただけ。

OK,何の問題もない。


the smiths: William It Was Really Nothing.




posted by kazar at 23:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2008年12月31日

ダラスへは行かなかった。

今年もあと数時間。

家の大掃除には未だ手が着かず。でもそれよりも、まず頭の中を大掃除せねば。いろんなものがトッチラカッタママである。全然何も片付いていない。うーん。

光陰矢の如し。

あっと言う間の一年だった。
でも、一年前のことは、はるかむかしのように思えて、全然覚えていない。矛盾してるね。日常はそんなにキレイに整合していない。

昨年末は何を考えていたっけ、と思いエントリを見返してみる。

来年末はダラスに行くことになる

そうだそんなことを書いていた。

ダラスには行かなかった。

何かを求めるときに、なぜか遠くの見知らぬ土地にその何かを求めてしまう。
隣の芝生は青い。

振り返れば、今年も多くのことを求めた一年だった。
それなりの成果を得たものもあったけど、多くはまだ進行中であり、乗り越えるべきたくさんの壁がたちはだかっている。課題は山積みである。

遠きに行くに必ず邇きよりす。

多くの課題に向かい、まずはしっかり落ち着いて自分の足元を固めるべきだろう。
ブレずに、僕ができる身近なことをしっかり行うこと。

頭のなかは全然片付いていない。
まずは手がつくところからやるしかない。

みなさん、今年も大変お世話になりました。
良いお年を。

OK,何の問題もない。


posted by kazar at 16:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2008年12月09日

Re: OK,何の問題もない。

大平智弘先生(武蔵野美術大学教授)がご逝去された旨の連絡を受けた。突然の師の悲報に言葉をなくす。

大平先生に出会わなかったら、僕はいまこうして大学教員をやっていなかった。
こんなに酒をのむこともなかった。宴席に出かけていくことの意味と価値もきっとわかっていなかっただろう。

研究と教育について、「デザイン」という考え方について、「生き方」について本当にたくさんのことを教えていただいた。
いや、正確に言えば[語って]いただいた。僕はそのお話しを聞いているその時には、その意味や価値や本質をわかっていなかったように思う。

でも、それから自分が動き、自分で考えはじめたその時に、大平先生から[教えていただいた]ことに気づいた。

恩返し。

それも、大平先生から教えられたことである。
恩返しとは、僕が先生から教えていただいた多くのことを、僕の後世に伝えられてはじめて成し遂げられる。
僕はこれから、先生にうまく恩返しできるだろうか。いや、しなければならない。


OK,何の問題もない。

僕が[勝手に]大平先生から借用していることばである。ご本人に承諾を得ていない。でも、大平先生にお伺いをたてるのは無意味である。きっと言うことは決まっているから。

いや、聞くことによって、自分はなにもわかっていないことを、逆に露呈させてしまう。

だって、「自分で考え、自分で判断すること。」
それが、「OK,何の問題もない。」の意味であるから。

でも、いつか、そうまだ先に、僕がそのことばを背負い何かを成し遂げた成果を持って、大平先生にお話しするつもりだった。
毎日自分の小ささに打ちのめされている今はまだ、報告できないと思っていた。

そしてこう言ってもらうつもりだった。

「OK,何の問題もない。」

聞けないまま、先生は逝ってしまった。


これまで本当にどうもありがとうございました。どうか安らかにお眠りください。
ご冥福を心からお祈り申し上げます。

僕は、大平先生に教えていただいたすべてのことに応えるために、[勝手に]このことばを背負い続けることにさせていただきます。

OK,何の問題もない。




posted by kazar at 19:37| Comment(1) | TrackBack(0) | 日々

2008年12月03日

メジャーなシンクロニシティ

今日読んでいたマンガに、昨日僕がエントリした内容と同じことが書いてあった。
嗚呼、何たるシンクロニシティ。

小さな失敗(ミス)を恐れ、
大きな志を失っていると─

なぜちっぽけなミスを恐れ、今から小さくまとまろうとするのか、

つまずいても、何度でもはい上がればいい。

そこに“動機(モチベーション)”なんて特にいらないじゃないか、

(満田拓也,MAJOR 69巻,2008)


OK,何の問題もない。


posted by kazar at 01:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々

2008年12月02日

equal oppotunity or not ?

「先生の授業スタイルって、結果平等ではなくて、機会平等を貫いていますよね」
って、この間ゼミ生に言われた。

その時は、あーそうか、と思ったのだが、何だかずっとひっかかっていた。

「結果平等ではない」ということは、その通りだろう。
どの授業もその成果(ゴール)を一様に設定することはない。
好きなだけ、自分の思うだけ学んでほしい。僕はそれを阻害しない。

でも、「機会平等である」だろうか?
みんなに一様に機会を提供しているだろうか?

僕は、自ら何かを求める人には協力を惜しまない。
自ら学ぼうとする人には、その学びの機会を与えることに協力を惜しまない。

でも、機会を与えるのは、「みんな一様に」ではない。
ということは、やはり「機会平等」ではない。

そこには「自ら何かを求める人」というフィルタがある。

自ら何かを求めるということには、強い動機付けが必要だと思いがちである。

動機付け=モチベーション。

僕はモチベーションということばが好きではない。
いや、正確に言うと、モチベーションということばが前景化するのが好きではない。

自ら何かを求めるということに、動機付けなんてそもそも必要だろうか?
ただ好きだから、ただ興味があるから、でよいのではないか。
そう、そこに結果が伴わなくともよい。失敗したって、何のかたちにもならなくたって別にいいじゃないか。
小さなことにビクビクして、何にも手をつけられないでいる、というのが一番もったいない。

好きなだけやってみたらいい。

どうにもならないことなんてない。大抵の場合はどうしていいかわからなくなっているだけだ。
(吉田聡,スローニン,1987)

どうしていいのかわからないことを、一緒になって悩むことには、僕は努力を惜しまない。

OK,何の問題もない。
posted by kazar at 01:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々