2008年12月02日

equal oppotunity or not ?

「先生の授業スタイルって、結果平等ではなくて、機会平等を貫いていますよね」
って、この間ゼミ生に言われた。

その時は、あーそうか、と思ったのだが、何だかずっとひっかかっていた。

「結果平等ではない」ということは、その通りだろう。
どの授業もその成果(ゴール)を一様に設定することはない。
好きなだけ、自分の思うだけ学んでほしい。僕はそれを阻害しない。

でも、「機会平等である」だろうか?
みんなに一様に機会を提供しているだろうか?

僕は、自ら何かを求める人には協力を惜しまない。
自ら学ぼうとする人には、その学びの機会を与えることに協力を惜しまない。

でも、機会を与えるのは、「みんな一様に」ではない。
ということは、やはり「機会平等」ではない。

そこには「自ら何かを求める人」というフィルタがある。

自ら何かを求めるということには、強い動機付けが必要だと思いがちである。

動機付け=モチベーション。

僕はモチベーションということばが好きではない。
いや、正確に言うと、モチベーションということばが前景化するのが好きではない。

自ら何かを求めるということに、動機付けなんてそもそも必要だろうか?
ただ好きだから、ただ興味があるから、でよいのではないか。
そう、そこに結果が伴わなくともよい。失敗したって、何のかたちにもならなくたって別にいいじゃないか。
小さなことにビクビクして、何にも手をつけられないでいる、というのが一番もったいない。

好きなだけやってみたらいい。

どうにもならないことなんてない。大抵の場合はどうしていいかわからなくなっているだけだ。
(吉田聡,スローニン,1987)

どうしていいのかわからないことを、一緒になって悩むことには、僕は努力を惜しまない。

OK,何の問題もない。
posted by kazar at 01:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 日々
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